映画「聲の形」の感想。漫画とは異なる文脈で描かれたラストシーンに見えた期待と希望。

映画「聲の形」を観て来ました。漫画では扱えない”音”を活かした映画版は、観る側にとって色々な意味でやさしい作品に仕上がったように思います。

今回の記事では作品のテーマ等を考慮し、評点の掲載は行いませんのでご容赦ください。

※完結済みの原作ということもあり「ネタバレあり」で進行します。原作・映画未見の方はご注意ください。

(※上記画像は、聲の形公式サイトより引用。)

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映画「聲の形」の感想

映画「聲の形」ロングPVより

映画「聲の形」ロングPVより

映画「聲の形」を見終わったとき、ほっとした、というのが私の正直な気持ちでした。

良くも悪くも原作である「聲の形」という漫画は、私にとって、容赦なく心を抉ってくる作品であり、全7巻を読みきるのがとても困難に思えるほどに、つらい気持ちにさせられた作品でしたので、映画版では、少しでも将也と硝子に救いのあるものになって欲しい、という願望があったのです。(誤解がないようにもう少し言及すると、原作よりも確かなものであって欲しい、という意味です)

ラストシーンを観て、私の願いは叶えられたと思いました。

ラストシーンについて

ラストシーン。原作では第57話に相当します。

硝子をかばって負った怪我から回復した将也が文化祭に行くという場面です。

友達と呼べる関係になりつつあった彼らとは仲違いしたままであり、学校では浮いた存在ということもあり、自らを奮いたたせてなんとか学校に足を運びますが、視線が向けられるや否や萎縮してしまいます。

萎縮した将也を支えたのは隣にいた硝子。将也はこれまで話すことが出来なかった学校での自身の状況や内面を硝子に吐露します。

将也の気持ちを理解した硝子は、将也をひっぱって教室まで連れていきます。

映画のシーンはありませんが、永束ら仲間たちとの再会もあり、将也はようやく自らの気持ちを、願いを、声に出します。

「みんなで文化祭 見て回りたい」

これまで怖さがゆえに、相手の顔を見れずに下ばかり向いて、受け止める気持ちが持てず、相手の声や言葉に耳を傾けようとしてこなかった将也が、硝子や仲間たちの支えのもと、一歩踏み出したことで、相手の顔を覆っていた×印が剥がれていきます。

その光景を見た将也の瞳から、ひとりでに涙が溢れていきます。ぽろぽろとこぼれる涙が自分が流したものだということに驚いた将也を仲間たちが微笑みを浮かべて受け止める、ところで幕を閉じます。

個人的な感想ですが、原作のラストよりも、これからの将也に希望が持てるものになっているように感じました。少なからず、今よりもきっと良いものになるのではないか、という期待を持たせてくれる、心がじんわりと温かくなるラストシーンだったように思います。

作り手の愛が溢れる作品「聲の形」

映画『聲の形』 ロングPV

映画「聲の形」は、山田尚子監督をはじめ本作品に関わったひとりひとりが愛を持って作品づくりに参加したことが伝わってくるものでした。

といいますのも原作のラストも読み手に託したメッセージとしては同じで、一歩踏み出す、ということ。踏み出すことで、可能性が広がるということを示しています。

しかしながら、踏み出した後、将也と硝子がどうなったのか。そこは描かれていません。読者に想像の余地を残しているというのと、終わり良ければすべて良しというか、帳尻が合うようなものにはしたくなかったのかなと。。

映画はそこを絶妙なバランスで解決しています。

原作が大事にしていた点をしっかりと踏まえた上で、シナリオ・画・音楽・芝居・演出といった、ひとつひとつの要素を積み上げ、アニメーションならではのラストシーンを作ったことに集約されていると思います。

明確なビジョンがなければ、作れないラストでしょう。

まとめ

まとめですが、もし原作を読むのを途中でやめてしまった、という方にこそ、是非とも映画を見ていただきたいです。きっと今度は最後まで観ていただけるのではないかと思います。

最後に。私は、原作を読み終えてから悶々と、将也と硝子たちが扉をくぐったその後のことを考えていました。二人には幸せな未来が待っていて欲しいと。そう願っていました。。

パンフレットのメインビジュアルは笑いあう将也と硝子なのですが、こみ上げるものがありました。ずっと、こんな二人を見たかったんだなと。。

映画「聲の形」に携わった皆様と作者である大今良時さんに心からの感謝を。

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原作はすごい漫画です。テーマに対するその真摯さゆえに、しんどい気持ちにもさせられます。。それでも徹頭徹尾やりきったことには賞賛の気持ちしかありません。そして最後まで読めたのは、大今良時さんの描ききる覚悟に背中を押されたことに他なりません。

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